皆さん、突然ですが…この看板見たことありませんか?
そうです。これです。ネット上で「最果ての土地グンマー」とネタにされるこの看板です。
この看板は長野県と群馬県の間にある、毛無峠という場所に立っています。
実はこの看板の向こう側には「天空のゴーストタウン」とも呼ばれる小串鉱山跡があるのだとか!
今回は荒れ果てた土地の向こう側に眠る標高1600mの秘境「小串鉱山跡」に潜入しちゃいます。
いざ毛無峠へ!
毛無峠は人里から遠く離れた場所にあります。
誰もいない手つかずの土地……せっかくならキャンプしたいですよね?
そう思った私はバイクにキャンプ道具を積載し、毛無峠へと走って行きました。
小串鉱山跡は群馬県嬬恋村に位置します。しかし、群馬県からはアクセスは不可能なため、長野県側から入っていく必要があります。
青い案内標識で「行き止まり」なんて看板初めて見ました。
珍しくて路肩にバイクを止めて写真を撮っていると、毛無峠へと走っていく車とバイクが何台も何台も……あれ、秘境なんですよねそこ。
車ではすれ違いが難しそうな道を走っていくと、途中から道路の舗装がなくなります。
柔らかめの砂利道をバイクで走っていきます。私が乗っているバイクはクルーザーという分類のバイクで、ばりばりのオンロードバイクです。ですが、特に支障もない程度のフラットダートといったところでしょうか。
青々とした背の低い草が生い茂り、ところどころ赤茶色の地肌が顔をのぞかせています。「荒涼たる」という言葉がぴったりの土地が広がっていました。
最果ての土地は満員御礼
ここに来たらやらなきゃいけないことがあります。
この写真を撮らないと始まりません!
この看板は予想以上に大きいです。私の身長(157㎝)の背丈より高いです。思わず「でか……」と呟いてしまいました。
この最果ての土地、非常に達成感はありましたが難点が1つだけあります。
……人多くね?
毛無峠付近にはキャンピングカーが5台は停まれそうなくらいのスペースがあるのですが、そこには乗用車が満員御礼状態です。加えてそのスペースの隙間を縫うように、タープと椅子を出してくつろぐ人たちの姿もありました。
停めきれなかった車が、毛無峠から5分ほど歩いたところにあるスペースにも10台くらいは停まっています。
極めつけは、この看板と愛車のツーショットを撮るための順番待ちができるほどの状態でした。
行ったのがちょうど三連休の日曜日だったので、ドライブやツーリングに来た人が多かったのでしょう。
……本当に秘境なんですかここ。
早速小串鉱山跡へ!
気を取り直して探検をします。
早速ハイキング道具たちを身に着け、看板の向こう側へと徒歩で進みます。
このあたりを歩くときには、熊鈴を忘れないでください。ここはツキノワグマの生息地になります。
歩いている途中で足跡やフンは見かけませんでしたが、ここによく通っている方からツキノワグマの子どもの目撃情報を聞きました。
小串鉱山跡までのルート
小串鉱山跡には正規ルートと非正規ルートがあります。
正規ルートは登山道を通り、小串鉱山跡にある地蔵堂へと抜けるルートになります。登山道とは名ばかりで、よく見ないと道だと分からない藪の中や道と勘違いしやすい砂地などを通っていくため、道を見失いやすいです。マップをしっかりと準備したうえで進みましょう。
非正規ルートは看板の向こう側へと続く未舗装の車道をそのまま歩き続け、集落へと向かうルートになります。正規ルートに比べて歩く距離は長くなりますが、道に迷うリスクは少ないです。
非正規ルートはグーグルマップで「小串硫黄鉱山跡」で検索すればそのまま出てきます。
せっかくなので往路は非正規ルート、復路は正規ルートで行くことにしました。
非正規ルートである車道を歩いていきます。
未舗装のこの道にはところどころタイヤの跡があり、定期的に車が出入りしているようです。
ふと周りを見渡すと、鉄塔が遠くに見えました。恐らく硫黄鉱山跡の集落に電気を送っていたものでしょう。
柔らかな地質のためところどころ道が崩れていましたが、徒歩なら問題なく進める程度です。
小串鉱山跡に到着
そして、集落跡に着いて最初に見たもの……
集落跡について最初に目にしたものがこれでした。
この看板の向こうには、外から持ち込んだと思われる木やプランターがたくさん並んでいました。
硫黄鉱山は植生にダメージを与えやすいため、植物が新たに生えにくくなります。
ここはその影響がどれくらい後まで続くものなのかを研究している場のようです。
小串鉱山跡の遺構の数々
さらに奥に進んでいくと、様々な遺構を発見しました。
急斜面の中腹にぽっかりとトンネルのようなものが口を開けています。
きっとここから硫黄を採掘していたのでしょう。
噂によるとこの坑道は埋められており、現在は立ち入りができないようになっているらしいです。
向こう側に見えるのは、コンクリート造りの建物の残骸でしょうか。結構大きそうです。せっかくだから探検してみたいなあと近づきます。
近づこうとすると、このような地形に阻まれます。
写真には写っていませんが、この谷のような地形はちょうど地面を3mほど抉ったようなV字をしていて、降りることはできそうですが上れる自信はありません。
恐らく先日の台風で大きく崩れたのでしょう。
とても気になりましたが、これ以上の探索は断念しました。
今も集落跡を見守る地蔵堂
集落の入り口付近に戻ると、このような看板が立っていました。
「帰りも安全運転で」ということは、この看板は集落がまだあった頃に立てられたものでしょう。
もう車でここに来る人はいないだろうにな……と少し感傷に浸ります。
看板の案内に従い、地蔵堂までの道を登っていきます。
すると、小さな小屋が2つ並んでいました。
建物の傷み方から見るに、定期的に人の手が入っているようです。
どうやらここだけは「忘れられた場所」ではないようだと感じました。
地蔵堂の中に入ると、訪問者による記帳が残されていました。
書き込みを読んでみると、割と最近に訪問した人の書き込みもたくさんあります。
地蔵堂の中には、集落の歴史や写真がたくさん飾られていました。
冬にはこんなにも雪が積もってたんですね。
ここはとても土地が柔らかな場所に存在するため、過去に大規模な土砂崩れが起き、集落のほとんどがなくなってしまったことがあるそうです。
しかし、集落は再び復活し、このような雪景色が見られるようになったのだとか。
お地蔵様が優しく微笑みかけてきます。
私は眼を閉じ、静かに手を合わせました。
かつてあった小串の集落はこのようなものだったようです。
どうやら私が入った場所はその中でもほんの入り口だけでした。
毛無峠への帰り道
正規ルートへの道は地蔵堂の裏にあります。
しかし、ぱっと見た感じではただの草むらにしか見えず、どこが道なのかわかりません。
「あの、すみません。道ってどこですか」
思わず、すぐ近くで休憩してたハイカーの2人組の方に聞いてしまいました。
すると、よくよく見れば踏み慣らされているのが分かる程度の道を案内されます。
こりゃ「遭難多発地帯」になるわけです。
わずかに残った人の痕跡をたよりに、ひたすら山道を登っていきます。
時々道なのかただの剥きだしの地面なのか分からなくなった時には、ひたすら上を目指して歩いていきました。
道の状態はとても悪く、非正規ルート以上に道が崩落している場所もあり、全身の筋肉を駆使して登っていきます。
疲れて立ち止まって見上げると、往路で見た鉄塔がより近くにありました。
ようやくスタート地点の毛無峠に着いた頃には、息が完全に上がっていました。
毛無峠で一夜を明かす……
さっそく設営!
疲れているのでさっさとコーヒーが飲みたい気分だったので、テントを手早く設営します。一応ここはキャンプ場ではなく、本来はただの県道に過ぎません。
そのため、なるべく迷惑のかからなさそうな駐車スペースの端にテントを建てました。
柔らかい地面のためペグはとても簡単に刺さります。抜けやすくもあるので、より地面への食いつきが良いV字ペグやY字ペグがよさそうです。風が強い場所のため、張り網はしっかりと張りましょう。
熊対策のため、風鈴を張り網にぶら下げておきました。
霧が多い土地なので注意
16時を過ぎると人がいなくなりました。
気温が下がってくると、周りがだんだん霧に包まれていきます。
日が落ちる頃にはすっかり周りは何も見えなくなってしまいました。
買い出しや温泉で毛無峠を降りるときには、なるべく日が高いうちに行った方がよさそうです。
人里離れた土地なので星空を期待していましたが、霧が濃くてとてもじゃありませんが星なんて見えなさそうです。
だんだんと寒くなってきたので、夕食にしましょう。
夕食はシェラカップで炊いた米にカレー缶。寒いので持ってきた薪を焚火台で燃やしました。
風がすごいため、もし炊飯をするなら風よけを持ってきた方がよさそうです。
また、標高が高いためお湯の沸騰する温度が低くなるので、水は多めに入れるとうまくお米が炊けます。
持ってきたウォッカで乾杯をし、1人だけの空間を楽しみます。
どこからか鹿の鳴き声が聞こえてきたような気がしました。
本当の静寂を楽しみながら、寝袋に入って目を閉じました。
毛無峠の夜明け
外の明るさで目を覚まします。時計を見ると朝の5時にもうすぐなる頃でした。
テントの外に出ると、息をのむような光景が広がっていました。
霧が晴れ、ぼんやりと向こう側にある山々が赤く彩られています。
きっともう少し早起きをしたら、燃えるような朝焼けが見られたことでしょう。
夜明けとともに起きるなんて何年ぶりでしょうか。
私はしばらく写真を撮るのも忘れてぼうっと突っ立っていました。
みるみると日は登っていき、いつの間にかラジコン飛行機を飛ばしにきた人達が続々と空地に車を止めていました。
ぶうんっとラジコン飛行機のモーター音が響いています。
毛無峠に賑やかな朝が訪れました。
さよなら毛無峠
毛無峠を後にし、山道を下って行きます。
毛無峠から離れていくごとに、あの荒涼とした景色が嘘のようなたくさんの緑が迎えてくれました。
今度はもう少し早起きをしよう。
そう決意しながら、私は家への帰路につきました。
実際に探検・キャンプをした感想
小串鉱山跡の探検ははっきりいっておススメできます。
かつての日本を縁の下から支えたのは、小串硫黄鉱山の集落だと言っても過言ではありません。見られる風景も、まるで人類が終わってしまったかのようなもの悲しさもあり、他では絶対に見られない光景でしょう。
毛無峠でのキャンプについては自己責任でお願いします。
あくまでも毛無峠は「県道」であり、正式なキャンプ場ではありません。ツキノワグマの生息域とも近いため、熊対策は万全にする必要があるでしょう。
ですが、半径1キロ圏内に人が誰もいないという体験ができるのは、日本では毛無峠の夜だけでしょう。
毛無峠や小串鉱山跡に興味があるけれど不安な方は、土日の午前中に行くことをおすすめします。浅間・吾妻エコツーリズム協会がたまにエコツアーを組んでいるようなので、気になる方は問い合わせてみてもいいでしょう。
いかがでしたか?
最果ての土地グンマーのその先にある天空のゴーストタウン「小串硫黄鉱山」に少しでも興味を持っていただければ嬉しいです。
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